【5月12日付】市庁舎問題で松阪市長

 鳥取市の「市庁舎新築移転を問う市民の会」(吉田幹男会長)は4月29日、三重県松阪市の山中光茂市長を招いて講演会を開きました。市民ら約450人が参加しました。
 松阪市は、山中市長就任前に計画されていた100億円の市庁舎新築計画を見直して4億2千万円で耐震改修しました。
 山中市長は、「50%を超える投票率で市民の6割が支持した耐震改修を、市民との議論の場を設けることなく、住民投票とちがう方向にいくのは考えられない」と強調し、次のようにのべました。
 「鳥取市民は、市政の重要な問題について責任をもって覚悟を示した。市のやるべき仕事は、そうした市民といっしょに考え汗を流し、いい情報も悪い情報も市民に提供することだ。
 市長は、市民といっしょに共有できる選択肢を選ぶべきであり、1年後に市長選を迎えた段階で、重要な争点ともなる問題(住民投票を無視して新築移転)を強引にすすめるやり方は、理解できない。
 市民と議論することなく、ワークショップもせず、市民に責任を持たせない取り組みをする自治体・市長は過去の遺物だ。
 最小限の費用で耐震改修をして、20年持たせれば、その間に基金を積み立てて立てることができる。庁舎の別館も20年リースのプレハブだ。その間に市と市民で『どんな街にしようか、どんな市役所にしようか』と時間をかけて議論ができる。急ぐ必要はない。いま新築しても20年たてば、その分老朽化する」

 山中市長は、「100億円の借金をしても、合併特例債で国が事業費(95%)の7割を返してくれるから、いま建て替える方が得だ」という主張に反論しました。
 「国の財政は地方よりも苦しく、地方交付税の不足分を臨時財政対策債で市に借りさせて、20年で返すと言いながら返さず、市に借金を積み増しさせている。
 100億円の借金をすれば、そのまま市の借金になる可能性がある。鳥取市は、合併特例債の発行枠いっぱいの545億円を使おうとしているようだが、合併特例債をあてにして借金をすることは、思慮に欠ける行為であり、故意であれば不誠実。
 松阪市の場合は、臨時財政対策債も極力使わず、借金を減らし、貯金を増やしている。合併の特例期間が切れる15年後には、算定替えで地方交付税が減る。松阪市も約40億円が減り、さらに行財政改革の努力をしないと財源が不足する」
 山中市長は、自分が市長になった原点について、「自分のビジョンを実現するためではなく、市民のあたりまえの幸せを実現するために、みんなで考え行動する市政にするためであり、市民の痛みによりそい、いっしょに汗を流したいと思っている」と話しました。
 重要な案件は、検討会や審議会、専門家委員会を設置して市の都合のいい答申を出させて、パブリックコメントにかけて「市民の意見を聞いた」という行政のアリバイ作りをして決めるのではなく、市民と直接議論して決めているとのべました。
 「審議会をつくって議論はしても答申は出させず、ワークショップやシンポジウム、フォーラムを開いて、月に3、4回の意見聴取会を開いて、方向性が決まるまで市民の中で議論を尽くしている。市民の合意がないまま、進めようとすれば、逆に進められなくなる」と指摘しました。
 市長就任前から進められてきた山間部の風車事業計画(現在進行中)について語りました。
 「すでに9自治体の自治会長(地権者)が判を押し、環境保全審議会も妥当として、市長の開発許可が待たれていたが、住民は、そのことについてまったく知らず、住民合意などなかった。住民の意向を聞こうと意見聴取会を開くと、次々と不安の声が出ました。飲用水、松坂牛、お茶への影響はどうか。低周波、災害、生態系、バードストライク…」
 予算について、「『お金がないからできない』と、行政は言うべきではない。優先順位が低いからしない、限られた予算の中で優先順位が高い順ものからやりますと言うべきだ。
 担当課では、優先順位がわからない。全体を知っていて優先順位がわかっている、市長自身が説明責任を果たすべきだ」と主張。
 「財政規模は縮小しても、支出より収入が多くなるシミュレーションを立てて、借金に頼らずに財政を再建してきた」「下水道計画は、当初の事業費の65%に、可燃物処理施設は当初の250億円を100億円に大幅に見直しができた」と報告しました。
 中山市長は、週に2、3回市民懇談会に出席して市民と語っていて、「今年1月の市長選は予算査定で選挙活動をほとんどしなかったが、当選を果たすことができた」「有権者に『市長にさせてください』とお願いしたことはなく、自分には能力も経験もないが、市民の方々に役割と責任をもっていただくシステムをつくりますので、いっしょにがんばりましょうと言っている」と話しました。
 最後に「この街の主役として、みなさんで今と未来に責任を持って、この街を変えて行ってほしい」とエールを送りました。