【7月12日付】戦争体験聞き取りプロジェクトー戦争を知って戦争法案に反対

 戦争法案に反対するうえで、戦争体験を知ろうと、境港市で6月27日、青年たちが「戦争体験聞き取りプロジェクト」を行いました。


 企画したのは、同境港青年実行委員会。境港市在住の安田啓さん(89)と永井章(しょう)さん(86)が2時間近くにわたり、体験を語りました。


 安田さんは、最初に祖父から聞いた話を紹介しました。


 明治6年(1873年)、14歳だった祖父は各村々の農民らが起こした争議に参加。農民らは「戦争になったら一番先に引っ張られて殺される。なんとしても反対せんといけん」と徴兵令に反対して蜂起し、大地主を襲撃して小作人台帳を焼いたが、古い名簿に差し替えられており、官憲に鎮圧されて2円60銭の罰金刑にされたと述べました。


 1917年頃、アメリカの大恐慌で養蚕業が大暴落。祖父らは、20年に弓浜(きゅうひん)小作人組合連合会を結成し、小作料の引き下げを求めて地主らと交渉したとのべました。


 安田さんは、徴兵年齢が19歳に引き下げられた1944年に徴兵されました。北朝鮮に配属されて終戦。身ぐるみお金に換えて8月下旬に密航船に乗って帰国しました。


 軍隊生活は、古参兵による新兵いじめが横行。安田さんは、上官の命令は天皇の命令だったから逆らえなかったといいました。


 永井さんは、父親の養蚕会社が倒産して9歳のときに満州に渡りました。大連1中で学びましたが進学をあきらめ陸軍士官学校にすすみ、東京大空襲を目撃しました。


 大連1中での軍事教練で銃を構えなかった友人に鉄拳制裁したことが、一生忘れられないと語りました。


 戦後は、復興のために食料増産が必要だと考え、昭和電工で窒素肥料合成のオペレーターとして働いたことなど紹介し、17人の死者を出した化学工場の爆発は、技術者として忘れられないとのべ、原発の不備を指摘しました。


 企画した男性(25)は「自分のことより国や家族を守る方を優先し、戦争に行かざるを得ない、雰囲気がつくられたということ。繰り返してはならないと思った」と。参加した女性(26)は「戦争法がつくられたら、個人の幸せより国防が優先される。そういう法律を許さない憲法の大切さがわかった。今後、奨学金を盾に『徴兵』されるかもしれない」と感想を述べました。


 鳥取市からも4人の青年が参加しました。今後、鳥取でも7月に被爆体験を聞く会、大山列車空襲の体験者の話を聞く会が企画されています。