【1月20日付】鳥取環境大学公開講座 森は海の恋人

 鳥取環境大学公開講座が昨年12月1日、鳥取市で開かれ環境大学の吉永郁生教授のナビゲートで「森は海の恋人」の理念に基づく地域社会づくりが紹介されました。


 京都大学名誉教授の田中克氏が講演しました。森林域と海洋域とその間に介在する里(人の集まる空間、人の営み、村から都市まで)に関する総合学問・森里海連環学を提唱し、価値観の再構築をめざしています。


 田中氏は、岩手県一関市室根町の「森は海の恋人運動」(※1)を長年研究し、被災した気仙沼舞根湾の漁業再生を支えてきました。


 森は海の恋人運動について紹介し、その意義について「海が蒸発して陸に雨を降らせて森を育て、森が河川を通じて海に栄養分を供給し、海の生物(プランクトン、海藻、それを食べる貝や魚)を育てる。サケや海鳥が海の栄養を陸に運ぶ。海が森を育て、森は海を育てている。先人の知恵〝魚附き林〟は、海辺の森を保全すると、周辺の海にいる生き物が生息し続け、漁業が存続するというものだ。堰堤を築いて栄養分の供給を断ったり、湿地、干潟、砂浜をつぶして生物の営みと浄化能力を奪ってはならない」と語りました。


 (※1)森は海の恋人運動は、1989年に気仙沼のカキ養殖漁師である畠山重篤さんが始めました。きっかけは、赤潮プランクトンを食べた「血ガキ」が全国の市場で廃棄処分されたことでした。
 干潟はコンクリートの岸壁に変えられ、下水や水産加工場の排水がそのまま流され、有機物が分解できなくなり、カキの成長が悪くなりました。山は杉の人工林で、荒廃林は雨で大川を濁らせる原因になっていました。


 カキが食べる植物プランクトンを育てるためには、フルボ酸鉄が必要です。フルボ酸鉄は広葉樹が造る腐葉土に含まれています。そのことを知った畠山さんは、気仙沼湾に流れ込む大川の源流の室根山に広葉樹の森を作ることを発想しました。


 そうして始まった森は海の恋人植樹祭は、毎年、全国から1500人前後が参加し、ブナやミズナラなどの広葉樹を植樹します。


 田中氏は、室根町第12自治区は植樹祭(この日のために3カ月かけて準備)を核とした町づくりによって、I・Uターンが増え、室根町20自治区の中でも少子高齢化が緩やかな地域になっていると紹介しました。


 震災で船も養殖場も流した漁師たちの表情が明るいのは、「〝太平洋銀行〟という元本がしっかりしていれば、毎年、利子(漁業)を生み出してくれる。その範囲で暮らしていけばいい」と考えているからだとのべました。


 また、震災によって形成された湿地は、貴重な生物たちの宝庫になっていると指摘しました。
 さらに、日本で唯一の焼き畑農業を続ける、宮崎県椎葉村の椎葉勝さんの取り組み(※2)について紹介しました。


 (※2)村では狩猟(1人が生涯に取る量は999匹まで)とヒエ、ソバが主食。耳川源流にあり、無肥料、無農薬で焼畑が行われ、1年目にソバ、2年目にヒエかアワ、3年目に小豆、4年目に大豆、5年目に自然に還す。


 田中氏は、有明海の状況についても報告しました。「中国向けのクラゲしかまともな漁獲対象がない末期的症状だ」とのべました。


 97年4月に全長7㌔の諫早湾潮受け堤防が閉め切られ、干潟が二枚貝の死骸で覆われた映像を示し、有明海瀕死化の3大要員は、①潮受け堤防の閉め切り。淡水化のために閉鎖した調整池の汚染がすすんだ②福岡市の水道水確保のための築後大堰。築後川を遮断して森の栄養分が海に流れなくなった③筑後川の砂利採取。干潟が更新されなくなり、生物が生息できず、浄化能力が失われた―だと指摘しました。


 島原半島は、有明海の潮流のために内陸部は冬暖かく、夏涼しいが、干拓地は調整池のために冬寒く、夏暑くなって、「冷害のため農業がビニールハウスでないとできない」と指摘。「漁業者とともに堤防の開門を主張する農業者が現れ、農業者と漁業者が手を携えて再生への道を歩み出せる道が開かれた。しかし、その農業者は県農業振興公社から退去を求められ、裁判に訴えられている」と現状を訴えました。