【11月17日付】本人の回復に必要なこと

 斉藤教授は、最後にひきこもり本人の回復と家族(親)の役割について話しました。


 回復に結びついたと思われる家族の態度は、▽ここぞというときに子どものために動いた。「泣いた、悩んだ、近所や友だちを避けた、うつになった、恨んだ」親が、〝腹をくくって〟親の会につながり、講演会で学び、行動した▽周囲に隠さなかった。周りの大人がさりげなく支援してくれるようになった。あいさつする、温かく見守る▽適切なときに子どもに支援機関の情報提供をした▽忙しくなり子どもばかりに目が向かなくなった。子どもが解放されて楽になった。ゆっくりテレビが見られた▽親の会でできた友人と愚痴をこぼしながら、励ましあった。子どもにゆったりとした環境を提供できた―ということでした。


 親にしかできないことがある。それは、①外部に支援を求め、本人とつなげる②コミュニケーションできる関係をめざす③自分の生活を取り戻す④家族の日常を取り戻す(子どもは家族の一員として対応する)⑤子どもの年齢に即した対応をする⑥まず夫婦・家族全員が同じ方向を向く(母親だけ、父親は別の方向を向いていては安心できない)⑦子どもを信じる。必要時は助ける⑧自助グループ「親の会」から長期的で強い支援を受ける⑨あせらない、あきらめない、距離をとって見守る(結果を残さないといけないと焦る、保健師が変わったので支援を受けることをやめた、上司からまだやっているのかと言われた、などでくじけることなく、3年かかってやっと喫茶店まで行けるようになったと見守る)―ことです。


 哲学者の鷲田清一氏は「分かってもらえた」と感じるのは、「相手が自分に関心を持ち続けてくれていることを、相手の言葉やふるまいのうちに確認できたとき」とのべ、「理解できないからといってこの場から立ち去らないこと、それでも何とかわかろうとすること、その姿勢が理解において大切なのだろう」と語っています。


 最後にある経験者の言葉です。


 「親を責めた時期もあります。でも、最終的には間違いなく本人の問題です。


 助けて欲しいときに助けてあげて欲しいですが、間違えても親が自分の問題にしないでください。
 本人もきついので「あんたのせいだ」とか、責めることはあると思いますが、そこは本人の問題だということを心にとどめておいて、背負い込まないで欲しいです。
(終わり)