身近な戦争被害の実態を学ぶ
終戦末期の1945年7月に鳥取県大山(だいせん)町で起きた「大山口列車空襲事件」について学ぼうと、鳥取県の若者憲法集会米子市実行委員会(実行委員長=安田みずほ日本民主青年同盟県委員長)は5日、学習会とフィールドワークを行いました。日本共産党の大森正治町議が講師を務め、関連資料や空襲体験者の生々しい経験談を踏まえながら当時の戦況や空襲の実態を解説しました。
大山口列車空襲は45年7月28日午前7時15分に発生。大山町坊領の大山口駅東側600㍍にある切り割り(丘を掘削して作った待避区間)に待避した列車に対し、米艦載機3機が機銃掃射とロケット弾で攻撃し、45人以上の死者と31人以上の負傷者が出ました。
11両編成の客車の先頭2両は赤十字マークが付き、傷病兵や日赤看護婦などが乗った病客車。一般客車はチ号演習(本土決戦に備えた塹壕堀りや建物疎開など)に動員された国民義勇隊の女性や勤労学徒などで超満員状態でした。
フィールドワークでは、空襲により被弾したコンクリート柱(鉄道の地下を暗渠で通すサイフォン)や大山口駅近くに建てられた「慰霊の碑」を見学。大森町議は、当時海軍航空隊のあった美保飛行場を標的にした空襲が数回にわたって行われ、美保飛行場への攻撃に付随した悲劇だったと紹介しました。
参加したヒロくん(19)は「のどかな田園地帯でこんな大きな戦禍に巻き込まれたことに衝撃を受けた。日本が武器を持ったところで、争いを生む種にしかならないと思う。記念館を作って学びの場にしてほしい」と感想を述べました。
25歳の女性は「手記や名前の載った石碑を見て、本当に起きたことだと実感できた。現実感を伴う勉強になった」と話しました。
安田さんは「もし軍事施設が近くになければ、もし早く日本軍が戦争をやめていたら、起こらなかった戦災被害だったと思う。戦争の悲惨さと同時に、戦争になれば民間人は標的にしないという国際的な約束も破られてしまうなど、今の戦争にも通じていることが改めて分かった。改憲や日本を戦争の方向に変えようとする政治に反対の声を上げていきたい」と語りました。
